分かっていても
バンバン打って、どんどん罹って、茶番デミックが絶賛継続中です。すでに葛根湯で治ると知られた弱毒ウイルスを恐れ、5回目を打った途端に罹患したり、持病の急激な悪化で随分亡くなったりしています。
毎朝駅頭に立って感じるのは、大多数のひとびとにはもう我々の言葉は聞こえなくなっているのではないかということです。マスコミがすっかり洗脳してしまったとも言えますが、よく言う”分断”という言葉ではなくて、取り込まれてしまった人々との”乖離”が起きているように思います。
東アジアを除く多くの国では、頻回接種はかえって感染しやすくなり、あるいは免疫不全に至るとわかって止めた途端に終息に向かいました。一方、我が国は、半分はマスクは無意味だと分かっているのに外せない如く、接種を重ねましたので、いまさらどうにもならないという厭世気分に浸っている雰囲気を感じざるを得ません。
それはこの茶番をやらされている側にもあるように思います。当の総理大臣の覇気の無さはそれを増幅しています。そうでもなければ、防衛費増加を増税で賄うといった雑な議論は出ないでしょう。彼らにはもう保身以上のことはできない、キュウキュウとしているのだと思います。
それは今回、感染症法を変える経緯からも明らかで、より管理社会に向かうような改悪になっているからです。そもそもこの茶番の遠因も新型インフルエンザ等対策法にあるのは明らかで、民主党政権当時に制定されたこの新法は、よくよく見れば、世界的感染症流行の際にはその対策の主権をWHOに譲るような建付けになっています。
あのウイルスも、、、ゼロ号患者はウエストポイント近くの米陸軍軍人であり、それが為に危険なウイルス研究は海外移転することになったとも聞いています。そして2010年はインフルエンザワクチンもバンバン打たれて、その結果なのか超過死亡数も増大しました。この数は、翌年の東日本大震災に掻き消されましたが・・・。
そして今、接種履歴をマイナンバーカードに紐付ける話も出ています。いろいろと政治的課題が山積のなかですが、人口を減らしたうえでの支配構造が用意されていると感じます。これはもう、死んだふりしてやり過ごす他はないのでしょうか?わかっちゃいるけど何も出来ないなんて!わかっていないのと同じか~~~。