亡国の保守
日付が変わって夜半より雨が降ってきました。台風14号が瀬戸内海を横断中ですから、その影響が出始めた様です。九州では福岡県から上陸したのは観測史上初めてのことだそうで、特異なルートを進んでいます。
さて、自民党の総裁選は公示日を迎え、候補者4名が揃っての演説会やメディア出演に触れる機会がありました。別に党員ではありませんし、誰がなっても大きな方針に変わりはないでしょう。しかしながら、自民党であっても随分と左傾化しているのに改めて気付かされます。
それもそうで、皆が戦後育ちの左傾化した学校教育を受けて、左傾化したメディアの影響を受けていますので、ある意味当然のことでしょう。明治以前の価値観を再教育された身には、ちょっとグラっと来てしまいます。
唯一、高市氏の発言に、今日の社会があるのは先人の働きがある点で、先人の考えや意見も入れての民主主義であることを語られていたのが、唯一の保守的な言動でした。その一方で河野氏が、保守とは暖かいものと言うのには、噴飯物で気持ちが悪かったです。
保守とは何か?今の日本人にとっては、その定義を言葉にした時点で嘘になる絵空事でしょう。もともと何の言挙げもしないことですから。あえて言うならば、ご先祖様に顔向けが出来るかどうかを問えば分かるということかも知れません。
ですから何も変えないと言うわけではありません。国であれば、国家の伝統や慣習などを踏まえて、創業の精神から見たときに変えないと精神が曲がるのであれば、変えるのが保守でしょう。その様な精神を現すものに、民の竈のエピソードや十七条の憲法があるでしょう。
例えば、入管施設に収容されていたスリランカ女性が亡くなってしまった事件がありました。全く日本人らしくないことをしてしまったと思います。ですから、法や運用に問題があったに違いないのです。それは反省して変えないといけません。また、その後の調査やご遺族に対する振る舞いも成っていません。心のベクトルが保身に向かうのが、今日の日本人の最も悪い癖です。ご先祖様に合わせる顔がありません。
そうして実は、先祖と共にする生き方の慣習そのものが最上の民主主義であり、もともと日本は独自の民主的な国であったと知ることになります。陛下は西洋の諸侯、王様とは違います。祈るご存在です。いわば全国民の喪主でもあります。家長ということです。しかしながら、ご皇族でさえ戦後に入った他国の結婚観に飲み込まれているのが亡国の現状でもあります。