心眼すなわち神眼
きょうも暑いです。それでもしっかり鼻までマスクで覆っている人びとを見るとやるせません。特に重いランドセルを背負って黄色い帽子にしっかりマスクを掛けている学童が通るたびに可哀想に思います。昨日は政府から公式に体育の際は外すように通達がありました。今頃になってそんなこと言ってるんかいと呆れます。世の中はテレビ脳で洗脳されていますので、率先してノーマスクで歩いて、他の思っていても出来ない方々が安心して外せるようにしようと思います。
さて子どもの話と言えば、例の神隠し、山梨県の道志村で見つかった人骨は3年前に行方不明になった子のものと断定されました。着衣や靴なども見つかっていて状況証拠は揃っていましたが、これまでミトコンドリアの鑑定から母系の血族であることはわかりましたが、その後のDNA鑑定からご本人と特定された様です。
当時行方が分からず、何日も何日も現場周辺を広範に捜索隊が入っていたことを思い出します。その頃、ある方が野生動物に連れ去られたのだろうと霊視されたのを聞いていましたので、やはり人の足では及べない山麓に連れ去られていて、今回、大雨などで沢に遺品が流れたのが発見につながったのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
ところで先入観というものは往々にして、目の前のモノをも隠し去ります。この神隠しの件では、当時も山側にも捜索が入ったといいます。捜索隊に落ち度は無かったと思いますし、事件そのものに批評をする気もその資格もありませんが、関連してひとつだけ思うことがあります。
それは探し物をよく頼まれた経験からですが、どうしても思い込みがあると、目の前にあっても見えないことがあるからです。その様な体験を繰り返して、人間は心の目でモノを見ていると知りました。それと、何かのインスピレーションを得て直感的に探し当てることもありますが、その行動は傍から見れば勝手な思い込みに見えたでしょうが違います。探し物は五感の神経を働かせるのが肝要で出来るだけ大脳は滅却した方が、第六感が働きます。鼻が利くって言うでしょう。たとえ匂わぬ対象でも五感のうちで嗅覚を利かせる様な感覚が大事です。だからマスクは邪魔ですね。なんてね。