アフターコロナ

 昨日の陽気から一変して、しとしとと雨の月曜日です。春というのは日々天気の移り変わりが激しいです。本日4月20日は規定通り月曜定休のお休みとします。

 世間ではテレワーク等が余儀なくされた事で、アフターコロナの議論が出て来ています。近年になって成長を遂げたチャイナの主要都市などはむしろITを中心としたインフラが進んでいて、この方面で日本の都市は遅れていると思います。テレワークの議論が地方創生に繋がれば良いなと思います。自身、脱サラした理由の一つに通勤地獄がありました。

 さて、ところで4月20日ですが、どんな日でしょうか?

 ナポレオンの誕生日ですか。なるほど、ですがヒトラーの誕生日でもあります。全世界がウイルスと戦っている言わば戦時下ですから、今日はヒトラーについて触れておこうと思いました。

 彼は世界一有名なレイシストですから、その面では全く同意出来ない存在です。ちなみに戦時中の日本はドイツと同盟関係にありましたから、当時「我が闘争」の邦訳は広く紹介されていました。ただしそれは日本人に対しての差別的記述は削除されていました。

 ヒトラーを好きかと問われれば、僕は嫌いですね。ある種の同情を含んで。

 第一にダサいんですね。その直情径行なところが。はい、もちろん会ったことも話したこともありません。いくつかの書物や、当時の映像、あるいは映画の中で描かれた姿などの切り取られた情報しか持ち合われておりませんが。悪い奴と言うよりは、純情が肥大化した様な印象を受けます。案外、吉田松陰先生あたりが近い性格なのではと思っています。

 政治家として、史上類例を見ないのは、言った事は必ず断行した事です。嘘はなっかた訳です。だから逆に、ユダヤ人が悪いんだと言って頭角を現しましたが、余りの徹底ぶりに途中からドイツ国民はついて行けなくなったんだと思います。足元の軍部から造反者が出ても仕方ありません。選挙の時だけ耳触りの良いことを言う多くの政治家は論外ですが、彼も失敗です。

 しかしながら、純情ゆえにその子どものような眼差しで感得し得た世界観があったのだろうと思います。ある種の霊感があったであろうことは、戦後の研究から一部明らかになっています。その端緒を紹介したのが、トンデモ本で有名な五島勉の「1999年以後」ですね。五島勉さんのヒトラー研究のきっかけは三島由紀夫氏との対談であり、トンデモな叙述の陰には重要な示唆があると感じます。さて、ヒトラーにコロナ禍は見えていたのでしょうか?