魂に性別なし
いわゆるLGBT法案ですが、国民民主党および日本維新の会の修正案を容れて衆議院で可決されました。原案のままですと自称ココロは女を主張する男性が女性トイレや女湯に堂々と入れるとかで、自民党内でも反対者が上回っていたにもかかわらず、萩生田氏、古屋氏、新藤氏らによって強行されつつありましたが、深田萌絵さん達の反対運動が効を奏したのか軟化された模様です。
おそらく参議院も通過しますので、省令や通達で賢明な運用になることを望みます。そもそもが、いわゆる性差別は明治以前の日本では緩かった訳で、日本社会の欧化にともなって蔓延ってしまったのですから、その実、日本はもともと寛容であり法律で縛るほどのことは無いように思われます。
その点、おかまのお姐さんらが国会前で法案反対していることからも明らかな訳です。そして報道では、そのような逆・性差別に対してのデモが映し出されていますので、一般の方には、肝心な立法の穴が知らされるのではなくて、自分には関係のない話ということになってしまっているのではないでしょうか?これではまるで反対するひとイコールLGBTかのように映ります。
いったんホモ・サピエンスの話ではなくて、生物界の性について科学的にとらえれば、武田邦彦先生の話が秀逸です。まず分布の問題としてどんな動物にも一定数のLGBTが出現しているということと、そしてその存在を正当とすることは種の絶滅に繋がるという自然の摂理からの話です。悲しいかな動物界では自ずと淘汰される存在なのです。
そのうえで人間界であっても原則は例外ではありません。恐らくは当事者でさえその部分は心底では感じているでしょうし、わきまえてらっしゃる節があります。それなのにそこにあえて光を当てるのはどうかしていると思います。また日本の場合は万世一系の男系男子を国家の象徴としているのですから、今法案はその慣習が崩れかねない危険性を伴うと言えるでしょう。
それでも差別を盾にして、上辺だけの偽善もあって、すっかり法案成立に向かっているのはなぜでしょう?これをコロナ禍と同じく社会を破壊するのが目的といえば、また陰謀論のレッテルを貼られるのでしょうが、先を行くアメリカ社会が教育の場などで現に壊れている映像を見させられると疑わざるを得ません。
あるいは、これはオカルトと思われてしまいますが、おそらく一番の本質なので述べておこうと思います。つまり霊魂に性差はないということです。動物と違い我々人間は、その本質が魂だと仮定すれば、むしろ性差がない、性別が無いのが常態とも思われますので、根源的に性別の無い社会が理想と感じてしまう節があるのでしょう。
しかしこの3次元世界で肉体を持つ以上、現実は性別のある社会を秩序あるものとする他はありません。その際、トランスジェンダーに苦しむような現代医学ではご病気と診断された方には過酷ではありますが、肉体的特徴を持ってはっきりと男女を仕分ける従来のやり方で社会秩序を守るのが歴史的正解だと、僕は思っています。社会では、内心にかかわらず、他人に見えている部分が自分だという事です。