国語学習が日本人を破壊する

 国語教育に憂うのは、何も今に始まったことではないのですが、流石にまずいんじゃないかと今回は落胆しています。

 小中学校を通じて国語の成績は良かったですが、高校からは理系でしたが、(古文は出来ませんでしたが)、現国の成績も文系並に出来たのですが、文学は嫌いで、ほとんど読んでこなかったのは、別にいま本屋だからという訳でなく、人生最大の失敗だったと思ってます。

 自身の言語能力については、何かポッカリと大きな穴が空いている感じなのです。

 小学校の漢字テストで、はねなくて❌とか、書き順なんでホントは、誰が決めたかっていうぐらいどうでも良い世界で、もっと言えば、送り仮名とか、本当は決まったものでもなくて、、、中学校の論説文などは、問題に答えが書いてあるのを探すだけでしたし。。。

 そんなことよりも、たくさんの文学に触れて、養えるなにかが、一番大事だと思います。

 大学の専攻で分かれる通り、細分化され専門化され、お金になる学問が重宝され、、、そんなのもういい加減やめたが良いと思います。すべての学問の頂点は文学でありかつ、底辺も文学であり、、、中心であり全体であるとは、我が師の名言です。

 国語教育に関しては、知っているだけでも数々の馬鹿げた議論が過去にありました。例えば、西洋が優れているのは英文ならばたった26文字の単純な組み合わせが合理的なのだから、漢字をやめて全部平仮名にした方がいいとか、正字舊仮名遣いの論争とか、、、恐らくはドンドンと破壊する流れで今日に至るのだと思います。

 今回の件は、またロクなことにならないのだと感じます。

 一応言っておきますが、人種を問わず10歳ごろまでしっかりとした日本語を学習した人は、音に関する感性が全く他の言語には無い状態の脳になっていると分かっています。虫の音や川のせせらぎを文学として認識する能力が出来上がるそうです。他の言語では、そもそもがこれらの音に対しての感性ができないので、雑音として脳では聞こえない様に処理してしまうそうです。ほんとうに日本語は大切にした方が良いと思います。

 子どもに読書の機会を提供することが、ますます大人の責任かとは思いますが、無闇に与えてはいけないのが教育の本質でもあり、悩ましいところです。うまく強制できるのはせいぜい10歳まででしょうか?

 それがまたタブレット端末の電子書籍でとなると皆目わかりません。。。

東十条

次の記事

猛暑です