皇紀をはるかに超えて
きのうは朝から雪。たとえ数センチ積もっても幹線道路は危険にさらされる東京だからでしょうか?注意を煽るかのように大雪警報も出てましたが、午後3時ごろからは冷たい雨にかわりました。そのような天候でしたから、朝早々から開店はあきらめてネット作業に過ごしました。
すると別のデバイスでダダ流ししていたYouTubeから、豊島区長の高野さんが9日に亡くなられたと一報が入りました。亡くなる前日、体調不良で登庁を休まれた際に引退を告げていたそうで、統一地方選まで副区長があとを引き継ぐようです。
高野さんはもともと池袋の古書店であり、そのご縁で昨年亡くなった地元の長老のお供で、選挙事務所や奥様の葬儀など、何度かお目にかかりました。夢を売る古本屋らしく、まちに路面電車を新設したいなどと語っていたことを思い出します。新区庁舎や池袋駅周辺の再開発に尽力されました。心よりご冥福をお祈りいたします。
さて今日は紀元節です。2023プラス660で、皇紀2683年ですか。こんにちでは事実上は主権の制限されたアメリカの属国ですが、ほかに類例のない二千年の皇統を繫いできた訳です。それだけでも特異なことですが、日本語や文化においても世界の中で異質であり、概ね善良な国民性であることが一番の珍事でしょう。
その善良さが、近年ますます失われていて、上にも下にも日本が崩壊しつつあることは遺憾です。ひとことで言えば、世界の常識の悪い部分に染まってしまいました。武田先生がよく仰っている「チカラづくの社会、嘘が平気な社会」といったものです。
そのような日本の惨状は、また世界にとっても多大なる損失に他なりません。つまりある集団の秩序はその全体のわずか数パーセントで支えているのが実相だからです。その意味で今は文明の終焉にあるのでしょう。これはなにも悲観することではなくて、栄枯盛衰の道理、ただし時間軸が平家物語などよりも遥かに長い波長の数千年に一度の転換点であって、未来は明るいという予感しかありません。
滅びて蘇える時期なのでしょう。それは聖書の黙示録や日月神示の大峠を顧みるまでもありません。なぜならば、科学偏重による物質文明の極まった今日に現れた量子物理学をみても、次の文明は粒子と波動の2面性によって立つのであろうと予想されるからです。それはおそらくは、縄文文明の太古から脈々と日本人の底流に受け継がれている心のありよう、たとえば正直さなどが、心=波動という観点でみればあからさまな世界となるのでしょうから。