そのまた先に未来はあります

 寒さが戻って来ました。日中パラパラと雨も落ちてきて、商店街の人通りはまばらです。歳末セールの立て看板や街灯のポールを彩るイルミネーションが年の瀬を示していますが、街ゆく人の様子からはそれを感じません。

 今日は少し遅れて開店しましたので、昼の集客を逸した感じですが、それでも店頭の品を入れ替えたお陰で、多少は覗いて行かれる方もありました。

 お隣の子供服店から回覧板が回ってきました。特殊詐欺の注意喚起、携帯電話にまつわる詐欺の手口のプリントでした。携帯電話料金が下がる話が、政権の目玉政策になっていますので、あざとい詐欺集団もその流れに便乗しているのでしょう。

 お隣さんはついていけないと言うのが、スマホの電子決済です。既にチャイナなどでは屋台でも支払いはスマホと聞きます。今、感染症対策として紙幣の除菌マシーンが登場していますが、紙幣やコインと言った現金がスマホに変わるのも早いかも知れません。渋沢栄一の一万円札が本当に発行されるのか、あるいは最後の紙幣になるのか、、、そう感じます。

 社会が合理性を志向すれば、生産性の向上を競争原理として、より大きな資本による大規模な分業体制に移行して行きます。零細の小売り商店は、スーパーマーケットに置き換えられて行きました。

 その際に、個人主義を伸ばすことが思想的に正義として表裏一体になってきました。つまりその反面、家父長制の家族主義が潰されてきました。西洋、特にアメリカの様な開拓人工国家から見れば、日本は遅れていると指摘される根元はそう言う伝統文化の相違によるのでしょう。

 ところがその合理性を追求するあまり、一部の特権階級によって支配される社会主義への傾倒が顕著になってきたのが、当のアメリカです。大統領選挙を通じて、それが一気に表面化したと思います。

 マルクスは人類の社会科学上の金字塔です。机上の理論ではこれを超えるものは出ていません。しかしながらこれを現実社会に用いると、大規模な粛清による革命に始まり特権階級の腐敗で終わるのは歴史が証明しました。今の人類は、マルクスが想定したほどには立派ではなかった、精神的進化が足りていないと言えるのではないでしょうか?

 今、二大大国が衝突していますが、そもそもチャイナが経済成長したのは、アメリカが貿易対象国としてチャイナの人口を市場と当て込んで支援し育てた結果です。そのチャイナが今、アメリカを飲み込もうとしてきたともいえますが、さらに少し先を見れば、社会主義の行き着く先は破滅ですから、この二大大国のいずれが主導権を握ろうとも同じ穴のムジナであり先はありません。

 この先10年20年掛かって、それがわかるでしょう。一方の日本は、本来はまったく違った文明に立脚していますので、それを再認識する期間なのではないでしょうか。文献から研究するのは難しいですが、江戸時代以前の生活感覚を、現在の価値判断ではなくて、当時の時代背景で把握することが肝要でしょう。しかし大河ドラマをいくら見てもダメです。あれは当時の事件を借りた現代人よる現代人を共感させる為のドラマですから。

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